・『霧津紀行』金承鈺 1964年作 (『무진기행』김승옥) / 武井美佳子 訳 ー抜粋 

(抜粋)

武井美佳子(다케이 미카코) 訳

 

バスが山裾を通り過ぎる時、私は「霧津10km」という里程碑を見た。それは、昔と同じ姿で、道端の雑草の中に突き出ていた。私の後ろの座席に座っている人たちの間で、再び始まった会話を、私は聞いた。「あと、10km残っていますね」「えぇ、約30分後には到着するでしょう」彼らは、農業関係の視察団のようだった。いや、そうではないかもしれない。だが、確かにかれらは柄物の半そでシャツを着て、テトロン織りのズボンを穿いていたし、バスが通り過ぎてきた村や野や山で、農業関係の専門家でなければできない観察をして、それを専門的な用語で話していた。

光州で汽車を降りてバスに乗り換えてから、私は彼らが田舎の人に似あわない、低い声で取り澄まして話しているのを、微睡の中で聞いていた。バスの中の座席はかなり空いていた。彼らの話によれば、農繁期には人々が旅行をする暇がないからだというのである。

「霧津には、名産品が特に何もないでしょ」彼らは会話を続けていた。「特にないでしょう。それでも、こんなにたくさんの人々が住んでいるというのがちょっと不思議ですね」「海が近くにあるので、港として発展出来たでしょうに」「行ってみるとお解りになるでしょうが、そんな条件が整っているわけでもないんですよ。水深が浅いうえに、そんな浅い海を何百里も外に出て行って、やっと水平線が見えるほんとに海らしい海が現れる所ですから」「では、やはり農村ですね」「ですが、これといった平野があるというわけでもないんです」「では、この5、6万にもなる人口が、どうやって暮らしているのでしょうか?」「だから、どうにかこうにかという言葉があるのではないですか」彼らは、穏やかに声を出して笑った。「いや、いくらそうだとしても、町というからには名産品一つぐらいはあるでしょう」笑いの後に一人が言った。

霧津に名産品がないわけではない。それが何なのか私は知っている。それは、霧だ。

朝、寝床から起きて外に出ると、夜の間に進駐してきた敵軍のように、霧が霧津をぐるりと取り囲んでいるのだった。霧津を取り囲んでいた山々も、霧によって見えない遠い所に流されてしまい、なくなっていた。霧はまるでこの世に恨みがあって、毎晩訪ねてくる女鬼が吐きだした吐息のようだった。日が昇り、風が海の方から方向を変えて吹いてくるまでは、人々の力ではそれを追い出すことが出来なかった。

霧、霧津の霧、霧津の朝に人々が出会う霧、人々をして、太陽を風を切実に求めさせる霧津の霧、それこそが霧津の名産品ではないだろうか。

バスのガタガタが少し減った。バスの揺れが小さくなったり大きくなったりするのを私は顎で感じていた。私は体から力を抜いていたので、バスが砂利の敷かれた田舎道を走っている間、私の顎はバスの跳ねにつられて一緒にガックンガックンしていた。顎がガックンガックンするほどに体から力を抜いてバスに乗っていると、緊張してバスに乗っている時よりも疲労がさらにひどくなることを知ってはいたが、でも、開いている車窓から入ってきた6月の風が私の素肌を容赦なくくすぐって吹いていくので、私はうたた寝に引き込まれ、そのまま体を預けているしかなかった。風は無数に小さな粒子からなり、粒子は思う存分、欲するままに睡眠剤を含んでいるように私には思えた。その風の中には新鮮な陽の光と、まだ人々の汗に染みた肌を通っていないような無邪気な低温、そして、今バスが走っている道を取り囲みながら、バスに向かって迫ってくる山脈の向こうには海があるということを教える塩気、それらのものが不思議にも調和しながら溶けていた。陽の光の新鮮な明るさと、肌に気だるさを与えるくらいの低温の空気、そして海風に混じっている程度の塩気、このたった三つを合わせて睡眠剤を作ることが出来たなら、それは、この地上にある全ての薬局の陳列棚に並ぶどんな薬よりも、爽快な薬になるだろう。そして私はこの世界でもっともお金を稼ぐ製薬会社の専務になるだろう。なぜなら、誰しも安らかに眠りたいものだし、安らかに眠るということは爽快なことだからだ・・そんなことを考えながら私は苦笑した。同時に霧津が近づいてきたということを何よりも実感した。霧津に来ると私はいつも突飛な空想をしはじめ、頭の中がくちゃくちゃになるのだった。

韓国語무진기행原文

 

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