・ 短編小説「半分以上のハルオ」イ・ジャンウク 2013年 (「절반이상의 하루오」이장욱) /  金正美 訳 』 ー抜粋

韓国語の原文は朗読をご参照ください。聞きながら日本語訳を見るのもお勧めです。

 

朗読者: 金正美(2015.9.10第1回韓国語朗読会にて録音)

日本語訳: 金正美

 

「半分以上のハルオ」イ・ジャンウク

 

 

僕には日本人の友達がいる。名前はタカハシハルオ。彼は、日本人にしては珍しく旅行が大好きで世界中に友達がいた。ハルオの言葉をそのまま引用するならこうだ。僕、ハルオは日本より外国に友達が多い。

実際に数えてみたことはないと言うけれど、おそらく事実だろう。彼は一年のうち日本国内より国外にいる時間が長く、日本にいるときは「死んだように」時間をやり過ごすという。誰にも会わず、何の活動もしない。意識的にそうしているわけではないが、気がつくとそうなっているというのだ。深海魚や海亀のように時を過ごしては、思い立つと飛行機に乗って外国へと旅立つ。それが僕、タカハシハルオの生き方なんだ。彼はそう言った。

だったら、生計を維持する金は? 旅行費用はどうやって捻出するのか?

僕の質問は、すぐに愚問だとわかった。旅をするのが仕事であり、旅をすることで生計を維持してる―ということだった。

ハルオの返事は本当だった。彼のブログにアクセスしてみると、世界有数の多国籍企業がバナー広告を出していた。その片隅には僕が勤める外資系企業の広告もあった。マーケティング・コーディネーション・チーム―とは言っても、数えるほどしかない国内代理店の共同プロモーションを管理する程度―で働きはじめて日は浅いが、将来的には海外に派遣されるかもしれない。それは、僕の希望でもあった。

ハルオは英語でブログをやっていて、そこに旅行記を連載していた。その旅行記はかなり人気のようで、世界中に幅広い読者を抱えていた。アクセス数を見ると、一万件は普通で、記事によっては十万件を超える場合もあった。おかげで彼は、世界各国のいろいろな雑誌に寄稿することとなり、本も何冊か出したそうだ。そして、いつからか旅は彼の趣味ではなく、仕事になったというのだ。

僕は英語の勉強も兼ねて、たびたび彼のブログにアクセスした。ハルオの文章は大体が短文で、難しい単語はほとんどなかった。英語はハルオにとっても僕にとっても外国語だったから―と言うと変だけど、だからこそ気楽でもあった。

彼が書くのは、旅行情報のような類のものではなかった。パリに行ったら屋台でムール貝を食べるといいとか、ペテルブルクではエルミタージュ美術館よりロシア美術館がお薦めとか、ニューオーリンズなら夜のバーボン・ストリートは絶対に外せないとか―そんな内容じゃないという意味だ。日本と比べてここはこうで、あそこはどうだという内容もなかった。彼は観光名所を紹介することもなければ、日本人としての視点で書くこともなかった。かといって、趣のあるエッセイや知的で感性あふれる旅行記というわけでもなかった。僕にしてみれば、どうしてそんなに人気があるのかわからないくらい、色も匂いもないというか。それでいて僕からして、彼が書いたものを魅せられたように読んでいるのだから、不思議だと言わざるをえない。その文章には中世の魔法のようなものがかかっているのではないかと疑うほどだった。

実際、彼は旅の足取りを文章と写真を通じて露出するだけだった。「露出」とは言っても、私生活を赤裸々に見せて快感を覚えるという意味じゃない。言うなれば、自分がいる場所での日常を綴るという表現が正しかった。そこが、ニューヨークのタイムズスクエアでもチエンコンの裏通りでも関係ないという感じだった。タイムズスクエアではニューヨーカーのように暮らし、チエンコンではそこで生まれ育ったタイ人のように暮らした。まさにそうだった。「暮らした」としか言いようのない方法で、ハルオは旅をした。それを「旅」と呼べるならばの話だけど。

見知らぬ土地では新しい発見があるはずなのに、ハルオはそんなことには興味などないようだった。あったとしても、自分がどこにいるのかわからなくなって一瞬慌てた、その程度の感想だった。目新しさに興味のない旅行家なんて―見慣れた通りの風景が毎日新鮮に感じられる路線バスの運転手くらい、そんなの話にならない。

僕はそう考えたけど、ブログの読者の中で実際に「フレンド」になった人もいると、ハルオは言った。書き込みを通じて知り合った人がたまたま旅行先に暮らしていて、実際に会ったり、旅行中に知り合った人がブログにアクセスして連絡を取り合ったりしたと言うのだ。

僕たち―僕と彼女―も言うなれば後者のケースだった。旅行中に出会って、そのあとブログにアクセスして読者になったという意味だ。

 

 

ハルオと出会ったのは、数年前デリーからバラナシに向かう夜行列車内だった。彼女と僕は、つきあいだして初めて一緒に―実は最初で最後の―旅に出たのだった。それも海外旅行に。

実のところ、彼女は外国慣れしていたが、僕はそうじゃなかった。その当時の僕は、ジャージ姿でTOEICテストの参考書を持ち歩く、就活中の身だった。高校時代まではパイロットが将来の夢だったけれど、海外旅行といえば中国に行ったことしかなかった。それも、父親が幹事を務めた町内の老人会の親睦旅行に無理やり押し込まれたものだった。男はすべからく広い世界を見るべきだ―父親が、僕を老人会の中国旅行に参加させた理由はそれだった。父親も初めて飛行機に乗るなんて話はしなかった。僕がそのとき、「中原(ちゅうげん)(注:中国で、黄河中流域の平原地帯)」の広い世界に出てやったことといえば、健康食品を売る店でガイドの退屈な説明を聞きながら、商品を手でもてあそんだだけだった。

でも彼女は違った。世界中に路線を持つ、外資系N航空の客室乗務員になったのだから。僕はパイロットが夢だったのに、デスクに向かって充血した目でコンピューターの画面をにらむ事務職になるだろうし、彼女は安定した公務員が夢だったのに、高度九千メートルの上空で働くスチュワーデスになるのだ。まだ入社したばかりだが、仁川(インチョン)をベースにアメリカ各地を往復することになる、彼女の未来は明るかった。アメリカのホテルに日当をもらって滞在する資格がある人生ということだ。

つまり、巨大な鉄の塊なんだけど、どこにでも飛んでいけるというわけ。軽い綿毛が飛んでいけない場所でも、重い鉄の塊は行ったり来たりできるということなの。彼女は初フライトを終えた感想を、そう話した。興奮気味に見えた。ずいぶんとロマンチックな感想だね―僕はそう皮肉を言いそうになったけど、彼女は僕の気分に気づかず話を続けた。

朝から晩まで飛行機に乗って遠い都市まで行って、そこのホテルで時間を過ごして、また帰ってくる生活なの。海の向こうの摩天楼に着いたら、二十時間のフライトなのに二日も経ってるわけ。帰ってくるときはその反対よ。二十時間のフライトを終えても、二時間しか経ってない。時間をポケットにしまって、また取り出すみたいな感じというか。

彼女は淹れ立てのコーヒーを飲みながら、とても興味深いといった口調で話した。その日、僕たちは出会って初めて、酒を飲まずに別れた。

彼女も、僕の夢がパイロットだったことを知っていた。幼いころはアカデミー(注:韓国の模型メーカー)の戦闘機シリーズやハセガワ(注:日本の模型メーカー)のプラモデルを集めていたし、将来は当然、航空学校に進学するつもりでいた。もちろん家族も反対しなかった。問題は視力だった。高校生になって視力が急激に落ちて、眼鏡をかけるようになっていたからだ。重大な欠格事由だった。でも僕は夢を諦めなかった。両親を説得してレーシック手術を受けたのだ。

そして、これによって、すべての夢は水の泡となって消えてしまった。

Leave a comment

Your comment